こんばんは、なぎです。
みなさんは今までアルバイトをやったときがあるでしょうか?
僕は人並みにやってきました。
様々なアルバイト
高校生時代
僕の家はそんなに金持ちではなかったため、中学生の僕はアルバイトが解禁される高校生(16歳)になるのを指折り数えながら待っておりました。どうしてもエフェクター(ギターの音色を変える装置)が欲しかったからです。
そして、念願の16歳となりました。しかし、行動力のない僕は即座にアルバイトをはじめることはありませんでした。
名古屋港水族館のホットスナックを詰めるバイト
僕が人生ではじめてやったアルバイトは、名古屋港水族館で販売されているフライドポテトなどのホットスナックをケースに詰めるというものでした。
これは単発のもので、1回しかやっていません。しかも給料が何円だったかすら覚えていません。多分時給750円とか800円とかそこらへんでしょう。
このアルバイトは中学校時代の同級生の女の子に誘われてやりました。中学校時代の同級生女の子2人と僕という謎の構造でバリバリ働いていたのを思い出します。
ポテトやイカをケースに詰めていたのですが
「なぎなんかイカ臭い~」
とニヤニヤしながら言われました。イカを詰めているのだからイカ臭いのは当然ですよね。
当然、別の文脈を孕んだ状態で言われていたと思いますが。
ともあれ、これが僕の初アルバイトです。給料を何に使ったかは忘れましたが、どうせ大したことには使っていません。
コメダ喫茶店でのアルバイト
地元の友達(鬱P含む)はみんなで同じバイトをやっている傾向がありましたが、僕はタイミング悪くその輪に入れなかったため自分でアルバイトを探す必要がありました。みんなで楽しそうに回転寿司屋や外資系おもちゃ屋さんで働いていてかなり羨ましかったのを覚えています。
コンビニでタウンワークをパラパラとめくっていたところ、喫茶店のウエイターの募集がありました。これはなかなかちょうど良さそうだということで、応募したところ採用されました。
当初はナメきっていて、喫茶店なんて楽勝だと思っていたのですがこれは完全に間違いでした。
名古屋特有の喫茶店文化で、「モーニング」というものがあります。まずこれについて説明しましょう。
名古屋で朝に喫茶店に入ってコーヒーなどの飲み物を注文すると、トーストとゆで卵が無料でサービスされます。これが「モーニング」です。店によってはミニサラダが出てきたりだとか、かなり特色がありました。
僕がよく通っていた喫茶店はパン屋さんが並立されており、そこから好きなパンを一つ持っていっても良いという神がかったシステムでした。土日の朝には毎回足を運んで漫画を読み散らかしながら様々なパンを貪っていました。余談でした。
アルバイトの話に戻します。
僕がよく通っていた喫茶店ではそんなに人が来ることはなく、のびのびとコーヒーを啜れたのですが、アルバイト先のコメダはまさに戦場と表現する他ない状況でした。
休日は開店からモーニングサービス終了の10:00まで、ずっと満員です。
ずっと満員だけならばまだ良いのですが、朝の忙しい時間というのもあり回転率が凄まじく、10:00になるまで注文を取り続けコーヒーとトーストとゆで卵を提供し続ける必要がありました。その数時間でへとへとになってしまうくらいです。
そして、10:00になると人がサーッと引いていき、そこからは比較的平和な時間が訪れました。
このアルバイトは1年以上やりました。夏休みを利用してまとまったシフトを入れて、そこで荒稼ぎしたお金でギブソンのレスポールを買いました。このギターは比較的最近まで僕がギターをやっているバンド「おはようございます」で使用していたので、もしかしたら見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。
ここで稼いだお金は全部ギター周りに消えました。未だに使える良いものを買えたので、当時の自分にはとても感謝しています。
業務としては、常連のお客さんの好みを間違えたりしてめちゃめちゃ怒られたりしました。常連のお客さんとはいえ、僕としてははじめて接する方なので「いつもの」を間違えてしまうのは当然ですよね。それで怒られるのは理不尽だよなぁ~と当時は思っていました。
なのでみなさんもお店に通う際は「いつもの」がこなかったとしても怒らないようにしてください。
※「いつもの」とはコーヒーを注文したときに何も言わないでもコーヒーをガム抜きにしたり、シロノワールにシロップを2つつけたりすることを指します
大学生時代
大学への進学とともに、僕は上京しました。
上京直後はダラダラとしていたので、すぐにアルバイトをはじめることはありませんでした。ここは高校生時代と同じですね。僕は生活環境や人生のステージが変わるタイミングでダラダラして働かなくなる傾向があるようです。
解答速報くばり
ダラダラしているとなにが起こるかというと、お金がなくなるんですよね。「金がねぇ~」が口癖の僕をみかねた友人が
「なぎ、即金のバイトがあるからやらんか?」
と声をかけてくれました。資格試験へと向かう人たちにホッカイロやティッシュを渡すバイトです。試験が終わると、様々な顔色をして帰途につく受験者に試験の解答速報を渡します。
これは単発のバイトでした。
どう考えても友人の予定が合わなくなったのを伏せた上で替え玉しただけだなぁ~と思っておりましたが、お金が欲しかったので特に突っ込まずやりました。
日払い派遣
大学のサークルの先輩に
「日払いのバイトがあるぞ、どうやら登録するだけでイケるらしい!」
とそそのかされて、新宿の雑居ビルに登録しに行きました。
このバイトはいわゆる派遣タイプで、毎回別の仕事をやりました。
人が必要になると電話で「いついつ開いてる?品川でのお仕事です」と電話がかかってきてそれに対して返答して働く形です。
棚卸しから事務所移転まで様々な案件が来ました。
今頑張って思い出すと以下のような仕事をしたと思います
・棚卸し
・花火大会の後片付け
・事務所の引っ越し作業
すぐにやらなくなってしまったので3つしかありませんでした。書き出してみると改めて分かる事実というものがこの世にはあるんですね。
棚卸し作業は、バーコードをピッとやる装置を渡されて朝までピッとやるだけの作業でした。深夜に作業しなくてはならないことを除けば、ピッとやってもやらなくてもお金がもらえたのでとても楽でした。
続いて花火大会の後片付けです。数多のカップルが花火を見ながらいちゃいちゃしたあとの神宮球場に赴き、ポイ捨てされたゴミや花火の破片をゴミ袋に回収する仕事でした。周りの人があまりにも一生懸命ゴミを拾い集めるので、僕はほとんどなにもしていないのと同じ状態でした。
最後に事務所の引っ越し作業です。これがあまりにもツラかったので2回ほどやってからはもうこのバイトに顔をだすことはありませんでした。
いわゆる軽作業というものです。軽作業は軽いものを運ぶという意味ではなく、重機などを用いずに人間の手でものを運ぶ作業のことを指します。なので、腰をいわしそうなほどとてつもなく重いものを大量に運ぶ必要があり、非力な僕はとてもじゃないが耐えられなかったんです。
また、このタイプの作業のときの休憩中のまわりの人の話題が「風俗」「ギャンブル」のみだったのがすごく嫌だったのを覚えています。かなり差別的な発言ですが「オレはここにいてはいけない……」と強く思いました。
そんな感じで長くやることはありませんでした。案件募集の電話はウザかったので着信拒否にしました。人生初の着信拒否です。
塾講師
とはいえ、働かない限りは貧乏が続くのでバイトを探す必要があります。
肉体労働のキツさを知った僕は
「よぉ~し知的労働に就労するぞぉ~」
と意気込みながらタウンワークのページを手繰ることになります。
その時に見つけたのが
「研修修了で5万円支給!」
と書いてあった仕事でした。それが塾講師のアルバイトです。
また、時給も1,500円と他のアルバイトと比べて破格だったのですぐに応募しました。ちなみに、応募した時点では、研修修了の5万円をもらったらバックれる心づもりでいました。
塾講師のアルバイトは他のアルバイトとは異なり、面接だけではなく学力試験があったのを覚えています。
試験を突破し、晴れて採用となった僕は研修センターに3, 4回ほど足を運び5万円をゲットすることができました。もちろんそれで終わるはずもなく、電話がかかってきて
「じゃあなぎやまくんは来週からいついつの時間に塾で授業してね」
という流れになりました。5万円をもらったらバックれようと思っていましたが、時給1,500円の魅力につられてそのまま働くことにしました。
個別指導とは
塾講師といっても、黒板の前に立ってつばを飛ばしながら教鞭を振るうタイプものではなく、机に生徒と横並びに座って質問事項を随時解説していく「個別指導」のタイプでした。僕は英語を主に教えることになります。
教えてみる立場になってわかることですが、自分自身でも完全に理解できていない事柄がポロポロでてくるのでかなり悲惨な指導になっていたかと思います。
晒し上げられる
授業のあとには、10cm x 10cm の枠に今回の授業の総まとめを書いて生徒に渡す必要がありました。
僕は毎回そのまとめをクソ適当に書いていたので、それを問題視した塾長が講師の総まとめをコピーして壁に貼り出すようになりました。
他の先生はとても丁寧できれいでとても分かりやすい総まとめを書いていて、壁に貼られた僕の総まとめが遠目でみてもゴミなことがわかりました。恥ずかしいですね。でも僕は相変わらずゴミカスみたいなまとめを書き続けていたかと思います。
また、講師の学力を高めるための定期的な集まりがありました。
そこで、英語の語根の話になりました。
「viv の意味合いはわかるかな?じゃあなぎやまくん答えて」
と塾長に問われたときに全く答えられず、他の(大学生の)先生に
「なんでそんなんもわからんの?同じ東大生として恥ずかしいわ~」
と言われて逆に僕が恥ずかしかったです。ちなみに僕は東大生ではないので、なんでそいつが僕を東大生だと思ったのかは謎です。
※立地的に東京大学の学生寮が近かったので、バイトしているプロ講師はたしかに東大生が多かった
そして終わりへ……
大学時代はロン毛にしていました。塾講師のアルバイト時期はロン毛への過渡期だったため、次第に塾長に髪の毛が長いことを指摘されるようになってきました。
当時の僕はアルバイトよりも髪の毛の方を重視していたので
「髪を切るのは嫌なので、バイトをやめます」
と言い放ってやめました。カスの極みですね。
余談ですが、塾のエントランスをくぐるときにイヤホンを外しながら入室したら
「プロ意識が足りない」
と指摘されました。時給1,500円のプロ意識とは何なのだろうと未だに思っています。全員プロ講師を謳っている個別指導の塾にお子さんを入れようとしている親御さんは、お子さんを担当する講師がプロ意識をもっているかを入念にチェックしたほうが良いかと思います。
保険会社のデータ管理
なぜそんなに簡単に塾講師のアルバイトを見限ることができたかというと、別のアルバイトを並行してはじめていたからなんですね。
このアルバイトは大学のサークルに代々伝わるタイプのもので、タウンワークには載っていません。
作業内容はめちゃめちゃ簡単で、CDを50枚デュプリケーター(CDを大量コピーする装置)に突っ込んで、データが焼けるまで待機しているだけというものです。
このアルバイトは本当に最高でした。
待機時間は何をしてもOKなので、本を読んだりギターを持ち込んで弾いたりしていました。
また、ノートPCを持ち込んでサークルのコピバン用の同期音源を作ったりしていました。
時給は900円と安めでしたが、どちらかというと自由時間がとても多いのが魅力だったのでそこは特に問題ではありませんでした。
僕は就活せずに大学を卒業したため、卒業後もこのアルバイトを続けていました。
周りの人たちがちゃんと正社員になってバリバリ働いているなか、僕だけアルバイトを続けているのはなかなか心苦しいものがありました。焦燥感がずっと心の底で這いずり回っているんですよ。「オレは本当にこのままでよいのだろうか……」と悩み続けましたね。どう考えてもそのままでは良くないんですけど。
一緒に働いていた後輩が「内定決まりました~」と言っていたときにも僕はまだ就活もしてませんでしたからね。ダメですね。バリバリ働きましょう。
いまだにいろんなバイトをやってみたい気持ちがある
以上、僕がやってきたアルバイトの紹介でした。
アルバイトをしなくなってから何年も経ちますが、日々のふとした瞬間に
「なにかしらのバイトをはじめてみてぇ……」
という気持ちになるときがあります。大学時代にやってみたいなと思ってやれなかったものにバーテンダーがあって、これはいまだにやってみたいですね。ガチでやるのは気がひけるのでシフトで週2,3日くらいやるのを半年くらいやれたら満足するのではないかと思っています。未経験ですが、バーテンダーとして僕を雇ってもいいという人はお声がけください。かなり真剣にスケジュール調整します。
新しいことをやって脳を活性化させたいんだ