仮想的な通貨を流行らせた

人生

こんにちは、なぎです。

みなさまはギャンブルが好きですか?僕はギャンブルに使われるゲーム自体がめちゃめちゃ好きなので、好きなのだと思います。じゃんけんで勝ったら1万円がもらえるだとか、ギャンブルで使われるゲームがつまらないものであったらギャンブル依存症になる人もだいぶ少なかったのではないかなと思います。

ギャンブル

教室内にて

僕が小学三年生のころでした。休み時間を知らせるチャイムが鳴ると、運動が得意な子たちはボールを手に取って校庭に駆けていきます。僕はスポーツが苦手で、スポーツ万能組には混じれずに教室内で静かに過ごしておりました。

教室内には休み時間を過ごすために様々なものが用意されています。その中には学級文庫と呼ばれる教室内に備えられた本のコレクションがあったりだとか、はたまた小学生が扱うものなので擦り切れて折り目だらけになったトランプがあったりします。

学級文庫をすべて読み終えた僕は次第にやることがなくなっていき、同じくスポーツ組に混じれない友人とともに休み時間はトランプで遊んで過ごすようになります。やるゲームは、ババ抜きや神経衰弱などが多かった気がします。

僕の家には父親がよく読んでいた青年向けギャンブル漫画がたくさんありました。エッチなシーンがたくさんあるのはすでに知っていたので、「勝手に読んでいるのがバレたら怒られるかもしれない」と家の中でコソコソと漫画を読み進めます。その中に登場したトランプのゲームに「ブラックジャック」がありました。ブラックジャックはカードを山札から引いていき、その合計数を21に近づけるゲームです。ただし、合計数が21を超えると「バースト」となり、最弱の手になってしまいます。なので、相手の手札よりも自分の手札を強くするためにもう一枚カードを引くのか引かないのかなどの意思決定が介入してきて、なかなか面白いゲームとなっております。また、ルール自体はとてもシンプルなので友達にも教えやすいメリットもありました。

仲間で遊びはじめたころは、トランプの数字の大きい小さいで勝敗を決めて一喜一憂していました。しかし、僕には漫画で得た知識があります。勝負には賭けるものがなければならない、次第にそう考えるようになります。何かやり取りできるものがないかと机の中をまさぐると、あるものを見つけます。それは理科と図工の授業で使うワッシャーでした。

トークンとして最適

これをお金に見立ててやり取りすれば、勝負がより一層熱くなることは間違いなしです。僕は早速、仲間に持っているワッシャーを持ち寄るように伝えました。

目論見通り、勝負は白熱していくようになります。勝ち負けの証が登場することで、誰が強いのか、そして誰がカモなのかが一目瞭然になるからです。ブラックジャックをやるときは、親番を順番に回していました。親は複数の子に対して勝負することになります。つまり、親の手が強ければ子の掛け金を総取りになります。もちろん、逆に欲張って山札を引きすぎてしまった結果バーストとなり、子全員に対して支払いをしなければならないこともあります。なので、親番をどう乗り越えるのかがとても重要です。絶対に勝たなければなりません。絶対に勝たなければならないので、僕はトランプの折り目や傷に注目するようになります。例えば、Aは11としても1としても扱える重要なカードです。なので、このAの場所が分かっている状態であれば勝負を有利に運ぶことができます。そうして、勝つために姑息な手段を厭わない僕のもとにワッシャーが集まってくるようになります。

また、「ワッシャー」の正式名称を知らない僕らは、このトークンに対して名前を付けることにしました。いや、正確には名前を付けようと改めて思ったことはないのですが、いつの間にかこの賭け金用ワッシャーは「ぺニーニョ」と呼称されるようになります。小学生なんてなんにでも適当な名前を付ける生き物ですからね。休み時間はぺニーニョのやり取りを巡って死闘を繰り返す日々でした。

休み時間に教室の隅でなにかに熱中している僕たちを見て、気になったクラスの子たちが参加してくることが次第に増えるようになります。ぺニーニョはクラスのみんなが持っているものなので、気軽に輪に加わることができるんですね。ぺニーニョはそういう点でも偉大だと思います。しかし、ゲームを続けていく上で問題が発生します。勝負の結果、ぺニーニョが少人数に集中して持てるものと持たざるものに二分されてしまう問題です。そういうときは、持たざるものが図工の授業中にこっそりと図工室からぺニーニョをくすねることで解決していきました。小学生の小さなコミュニティでも資本主義が存在するのですね、世知辛い世の中としか言いようがありません。しかし、そのなけなしのぺニーニョも圧倒的資本力の前にねじ伏せられ、持たざるものが図工室で盗みを働いたペニーニョを持てるものが巻き上げる構図が続くようになります。

持たざるものたちは次第に怒り出すようになります。自分たちがリスクに晒されながらやっとのことで手に入れたぺニーニョを、ノーリスクで富裕層がすべてかっさらっていってしまうからです。僕は彼らの怒りを鎮めるために、図工室から少量のぺニーニョをポケットにしまうのではなく、ペニーニョを保管している袋ごと全部持ってくればよいのではないかと提案します。そうすれば、これからもうリスクを負う必要は無い、と。それに納得した持たざるものは次の図工の時間にペニーニョをすべて教室まで運んでくることに成功します。合計で200枚くらいはあったかと思います。

大量のペニーニョを手に入れた彼らは意気揚々として多額を場に張るようになります。しかし、僕には前述したとおり折り目や傷の特徴からカードを割り出す技がありますので、返り討ちにしていきます。結局は力を持つものが場を支配していくんですね。彼らには資本だけではなくカードをコントロールする力も足りていませんでした。結果的に、図工室から持ち出した大量のペニーニョはほとんどすべて僕もとへとやってきました。クラスの経済を完全に支配した瞬間でした。

しかし、僕はあることに気が付きます。この大量のペニーニョをどこにしまえばよいのか分からなかったんですね。「経済を支配した」と言っても結局このペニーニョはクラスの外に出てしまえばただの金属片にすぎません。この長い休み時間が終わってしまえば、体育館に移動して体操座りをしながら先生方のありがたい話を小一時間聞かなければならない集会があります。それまでにこの金属片を処理しなければならないと判断した僕は、持たざるものに賭率の変更、倍層を持ちかけます。「僕はすごくたくさんのペニーニョを持っているから、君たちが勝ったときは10倍の掛け金を支払うよ」と僕が言うと、持たざるものたちはより一層勝負にのめりこむようになります。

僕は持たざるものの一人の藤野くんに目をつけ、彼に金属片を集中させる計画を立てました。彼が親番の時に大金を場に張り、わざとバーストして大量の金属片を放出します。それを何回か繰り返したところ、僕が持っていた金属片はすべて彼のもとへ渡りました。

今まで持ったことのないような大量のペニーニョを前にして、藤野君はホクホク顔でした。この時が彼の人生において絶頂だったのだと思います。その時、担任の先生が教室に入ってきて集会があるから全員体育館に移動するように告げます。藤野君は得たペニーニョをポケットの中にしまいこもうとするのですが、それがあまりに大量なので全く入りきりません。急げば急ぐほど彼の短パンのポケットからはペニーニョがこぼれ落ちていきます。僕はそれを横目に、体育館へ移動するために廊下に並ぶ生徒たちの列に加わりました。藤野君は大量のペニーニョを両手に持って呆然と立ち尽くしていました。その後、自分の手に持っているものが通貨ではなくただの金属片であることを認識し、大声をあげて涙を流しはじめました。

その後

僕たちは集会のあと、担任の先生に呼び出されました。藤野君はなぜ大量のワッシャーを持っていたのか、その件についての事情聴取です。僕は観念して、正直にいきさつをすべて話しました。ブラックジャックのこと、ペニーニョの概念、図工室からワッシャーを盗んだこと。さらりと「僕がワッシャーを盗んだことは一度もない」との主張を織り交ぜましたが、圧倒的な正義の前ではそんなことは何も関係がありません。ブラックジャックを楽しんでいた僕たちは、先生に叱られてみんなで仲良く泣きました。もちろん休み時間中のトランプが禁止になったことは言うまでもありません。

前ちゃん
前ちゃん

ギャンブルは、適度に楽しむ遊びです。