下を見て生きよう

人生

こんにちは!なぎです。

みなさんは上を見て生きていますか?僕もある程度上を見て生きています。ただ、上を見て生きているとつらいんですね。「なんで俺はこんなにカスなんだろう」と思わされ続けますから。

頑張って生きたら疲れる

有吉

有吉弘行の Wikipedia を見ていたところ、出版されている本からの情報ソースが多かったので実物を買って読んでみました。

文体がブログみたいな感じ

内容としては、一発屋の法則なんかは全く紹介されておらず終始ブログみたいな内容でした。ただ、その内容がメチャクチャ面白いです。最初から最後まで異様にネガティブなんですね、「仕事なんていつ全部なくなるかわからねぇぞ!」という感じです。あとは、「大金が入っても使うな、節制しろ」をずっと主張しています。アングルが徹底しています。

何度かテレビで話しているのを僕もみたときがあるので、エピソードはご存知の方も多いと思います。番組のヒッチハイク企画でヒットした有吉でしたが、その後仕事が入らなくなってしまいます。その時にどん底の生活を送ったとあります。僕はその事実よりも、どん底にいるときの考え方がめちゃめちゃ面白いなと思いながら読んでいました。

・先輩がメシをおごってくれるんだけど、その金自体をよこせと思う
・ジイさんバアさんと自分を比べて「俺は全然イケてるな」と思う
・落ち目の時に努力しても無駄だからなんもやるな
・適当な一般人のブログを読んで「俺のが上だな」と思う

毎日家に引きこもって生きていたので、毎日更新のブログも嘘まみれだったみたいです。家にいるだけでは面白いエピソードの一つもでてきやしませんからね。僕もブログに書くネタがなくなったら、嘘エピソードを書いていこうと思います。

ほかにも「家の中で包丁を持って『うおー』と叫ぶ」やつは僕もやったことがあるので共感度がマックスになりましたね。人間は落ち目になるとよく分からないことをやりますから。僕の場合、最近は包丁を持ちだす機会は減り、だいぶ丸くなりましたが、呼び込み君の音楽に合わせながらケツを振り続ける奇行はまだ止められていません。これから出世するようなことがあれば、それも次第にやらなくなっていくのでありましょうか。

仕事がない恐怖

僕は仕事がなくなっていく恐怖に怯えたことはまだありませんが、社会的地位が全くないことに対する恐怖を抱いたことが人生で二度あります。

一回目が大学受験に失敗して浪人したときです。

浪人とはもうその字面から感じられる通りで、なんの社会的地位もありません。鬱P(僕がギターを弾くバンド『おはようございます』のベース)をはじめとする友達たちがみんな大学生になるなか、僕だけはなんでもないですからね。しかもその「なんでもない」期間は次の入学試験が行われるまでの1年間続くこともあり、そのつらさに打ちひしがれておりました。それに加えて、さらに受験に失敗してしまえば大学生になることすらできません。周りはすごく楽しそうなのに、自分だけ全く社会的地位がない状態だと遊んだときも楽しくないし、とにかく何も身に入りません。なんなら、人生で一番勉強しなきゃいけないレベルの時期にも関わらず、勉強すら身に入りません。これはあとでわかったことなのですが、別に社会的地位があろうがなかろうが勉強は身に入りません。

また、浪人は立場的にアルバイトをやれないのでとてつもなく貧乏でした。母親からもらう昼飯代500円を握りしめ、水筒の中にお茶を詰め込んで予備校へ向かう毎日でしたからね。予備校の近くに250円弁当が売っていたので、授業をサボってそれを買いに行きむさぼり食う日々を送っておりました。余った250円を握りしめて近くの50円ゲーセンへ行き、ガンダムのゲームや麻雀のゲームを限界までプレイして、飽きたら自習室に戻って勉強するというのを一年間ただひたすら繰り返しました。

そんな努力のかいあって、1年間の浪人の末、なんとか大学の合格に引っかかったので本当に良かったと思います。これでまた失敗してもう1年浪人したら犯罪者になっていたかもしれません。周りが次のステージに進んでいるのに取り残される感覚は予想以上にキツいものがあります。

二回目が、就活を一切やらずに大学を卒業したときですね。

晴れて大学に入学して状況できた僕は、ソラニンのような青春を送るために軽音楽サークルに入部するのですがこれがちょっとした手違いにより、入部したサークルがメタルサークルだったんですね。なので、大学生活中4年間はAメジャーセブンスコードをかき鳴らすのではなく、6弦の開放弦をひたすらダウンピッキングしつづけることになります。この期間中にダウンピッキングの技術に磨きがかかり、自信を持つまでに至りましたが、最近通い出したジャズギター教室の先生に「なぎくんはピッキングが弱いし、ちょっと遅いね」と駄目だしされて僕が積み上げた4年の努力は儚く砕け散りました。

まあそんなことはどうでもいいとして、4年間はサークルの部室に入り浸り授業にほとんど出ない日々を送りました。1年終了時の取得単位は22単位でした。翌年は更にひどく、合計28単位になりました。ここらへんで「そろそろちゃんと勉強しないと留年するな」と危機感を抱きます。3,4年次で100単位を取得し無事に留年せずに卒業することができましたが、単位がたりなさすぎて就活に必要な「卒業見込み」がもらえなかったんです。なので、ラッキーと思った僕はそれにかこつけて全く就活しませんでした。周りの人が頑張って就活しているのを横目に「そんなバリバリ頑張らんでも大丈夫だって~」と、のらりくらり暮らしておりました。本当の地獄はこれからやってきます。

大学卒業後、就職せずに4月を迎えました。学生時代からやっていたアルバイトをそのまま続けているから万事オッケーだなとあまりにも甘すぎる将来展望を持ったまま生きておりました。5月になると、大学時代のサークルの後輩がライブをやるということで、遊びに行くことになります。もちろん、僕だけではなく僕の学生時代の同期も遊びに来ました。そのプチ同窓会にて調子に乗っているやつも来るんですね。ライブは平日の夜に開催されたので、スーツを着て社員証を首にぶら下げた状態でライブハウスに入ってくるやつがいました。今考えると、あまりにもその一連の行動がダサすぎて笑えるのですが、当時の僕はなんの社会的地位も持っていなかったため、しっかりとダメージを受けます。なにもしていないと、ダサくて寒い行動に対しても対抗できなくなるくらい弱るんですね。「お前その行動ダサすぎるぞ」と指摘する力すら失われてしまうんです。

当時を振り返って鬱Pに「あのときのなぎはかなり後ろ向きに生きていて、負のオーラが全身からとめどなく溢れ出ていた」と評されました。まったくそのとおりだと思います。

確かに、フリーターをやっていたときはバイト先への移動中ずっとネガティブなことを考えていました。自転車を漕ぎながら

「収入はほぼすべて生活費に消えていくが、自由な時間は多いから大丈夫」

だとか

「本気を出せばオレも就職くらいはできた」など、虚勢を張っていました。もちろん事実は異なります。

プチ同窓会での出来事は、就職しているやつを見てメンタルダメージを受けてしまったので、そうではなく留年したやつに注目すべきだったんですね。カス単位とはいえ、僕はストレートで卒業しているため下を見て安心すべきだったのです。そうすれば負のオーラを発しなくて済んだのだと思います。

とはいえ、そもそもメンタルが落ちる状況を作らないのが大事

そうは言っているものの、そもそもそういった状況に陥らなければ下を見る必要性もないのでそこをしっかりしていくのが肝要ですね。状況が変わって、翌日から収入ゼロで~~すみたいなことも全然あり得るかと思いますので、リスクヘッジをとりながら日々をバリバリと過ごしていくべきなのでしょう。もし将来なんにもなくなってしまったら、平日の昼間に公民館へ行きおじいちゃんやおばあちゃんを見て生きていこうと思います。

前ちゃん
前ちゃん

有吉が通っていたのは北沢タウンホールなんだ