こんばんは、なぎです。
最近ブログを書くときは「ですます」調で書くのですが、たまには「である」調で書きたくなったりしますよね。そんなことありませんか?
サイコパス
サイコパスと呼ぶな
オレは人生において変な行動をすることが多いので
「なぎくんサイコパスじゃん!」
と言われることが多い。めっちゃ多い。人生で何回言われたかわからん。言いたいことはわかるんだけど、「サイコパスじゃん!」は明らかに誤りなので、言ってしまった人たちは即座に改めてほしい。
あと、オレがギターを弾いてるバンド「おはようございます」のボーカルの鯖さんもよくサイコパスと言われている現場を目撃する。
こんにちは
【人物紹介】
鯖さん
おはようございます(なぎがギターを弾いているバンド)のボーカル
メンバー内でトップクラスの失言(意図的)の多さを誇るなど、おちゃめな一面が垣間見える。
僕やなぎさんのことを「サイコパス」呼ばわりする人たちは、「サイコパス」がなんなのかを正確に分かっていません
まあオレも正確にはわかってないんだけど……
最後通牒ゲーム
目の前に1万円がある。
オレとあなたでこの1万円を分けるゲームをやるとする。相手は別にオレじゃなくてもいい。このゲームでは役割が2つある。1つはこの1万円を2人の間でどのように分けるのか、金額を決める役割。そしてもう一方は、その提示された金額でOKかどうかを意思決定する役割。提示された金額で許可を出すと、それぞれが提示された金額を受け取ってゲームエンド。もし、NGが出た場合は2人とも0円でフィニッシュ。
では、オレが提案する側であなたがOKかどうかを決定する側だとする。
提示するのは、オレの取り分が9,900円であなたの取り分は100円。これでOK?
不公平と感じる?
このような取引で不公平を感じる人は調和性が高いらしい。逆にサイコパスは自分のことしか考えないため「なにもしないけど100円もらえるならもらっておこう」という考え方をする。
このゲームはサイコパスのあぶり出し(言い方がめちゃ悪い)に使えるらしい。一旦オレの周りでこのゲームをやってみたら、大体の人はNGを出したが、ちらほらOKを出す人がいた。
例えば、N.I.C.K のにしくんはOKを出した。
では彼はサイコパスなのか?それでOKを出した理由を問うと
「なぎちゃんにお金を払ってもらって焼肉に行けばよいじゃん」との返答があった。
彼はサイコパスではない。とても純粋な人間である。
ちなみに最後通牒ゲームはこの本で知った。
じゃあサイコパスって?
めちゃくちゃ簡単に言ってしまうと、究極的に自分中心すぎて他人の気持ちを理解することが出来ない人たちを指す。ご存知の通り、オレや鯖さんは他人の気持ちを程よく理解するためサイコパスではないと言える。また、意思決定を感情や他人の気持ちに邪魔されることがないので、言い換えてみればいつでも合理的に意思決定できるともいえる。昔良く見たトロッコ問題をやらせたら、サイコパスは間違いなくトロッコの分岐器を切り替えられるだろう。オレがこの問題に直面したら間違いなくビビり倒して何もできない。
サイコパスは何かしらの動作を行うときに、心拍数が上がりにくい傾向があるという。これについては自分たちを例にして考えてみるとよく分かると思う。例えば麻雀をやっていて四暗刻単騎をテンパイするとしよう(麻雀がわからない人のために説明すると、めちゃくちゃ点数が高いレアな役をあと一枚でアガれる状態)。この状態で心拍数が上がらない人がいるだろうか?おそらくオレはアガるか流局するまで100mを全速力で走ったときよりも心拍数が跳ね上がっている。この「心拍数が上がりにくい」性質のせいで、他のサイコパスではない人たちよりもリスクが高い行動をとりがちであるという指摘がある。心拍数はリスクを知覚するのに身体に有効に働いていることが分かる。
サイコパスには勝ち組と負け組がいる
サイコパスには社会的に成功している者もいる。前述の通り、意思決定を冷徹に下せるためビジネスのシーンで役立ったりすることもあるのだろう。勝ち組のサイコパスはその能力をふんだんに発揮してビジネスシーンでバリバリ活躍できている。その一方で、負け組のサイコパスを考えてみると、こいつらは意思決定があまりにも短絡的すぎて雑に犯罪を行ってしまう者たちである。もちろん犯罪を犯して捕まってしまうと社会的地位は地の底まで落ちる。重要なのは「捕まってしまう」となので、一部の頭のキレるサイコパスは入念に証拠を隠滅して逃げおおせているのかもしれない。ただ、まだ捕まっていないサイコパスについては、捕まえられないがゆえに研究が進んでいないらしい。本当にヤバい人間は人知れずオレやあなたの近くにいるのかもしれない。
サイコパス自体は、他人への共感性が薄い性質だけを指しているので、それだけでIQが高かったりすることはないらしい。なので、知能については普通の人間と同様に頭のいいやつもいれば頭の悪いやつもいるニュアンスだ。また、他人の感情を「理解している」サイコパスもいる。後天的に他人の感情を学習して「こういう表情をしたらこのようなことを考えている確率が高い」と判断することで社会生活を送っている人たちだ。
GIVE & TAKE
GIVE & TAKEという本がある。
世の中をギバー・マッチャー・テイカーの三種類の人間に分類して考える本である。ギバーは他人に与えることが多い人で、テイカーは他人からもらうことのほうが多いタダ乗り人間である。マッチャーはその中間。世の中はマッチャーが一番多い。返報性の原理が働くので与えられたらお返しをしようと考える人が多いということなのだろう。でも世の中にはこの原理の外で動いている人間がいる。それがギバーとテイカーである。
面白いのが、「GIVE & TAKE」はマッチャーの考え方で、ギバーは「GIVE & GIVEN」で考えるし、テイカーは「TAKE & TAKEN」で考えるらしい。言い得て妙とはこのことである。
この本にも前述した最後通牒ゲームが登場する。ここで言われるテイカーはサイコパスの傾向があるのではないかと思った。テイカーはファーストインプレッションでは見抜くことができない。それどころか、むしろ初対面は人当たりがいいとすら思うことがあるという。これは完全にサイコパスと同じ流れだ。
テイカーを見分ける方法が紹介されていた。それは「自分と利害関係がない人に対しての態度」を見れば分かるという。テイカーは自分に利益を与えてくれる人にはまともに見えるように振る舞うのである。一方で、ギバーは相手は関係なく与えようとする(ただし相手がテイカーの場合を除く)。
オレの周りにいたサイコパスのことを考えてみると、例外なくこの「テイカー」に当たる。人間関係を焼畑農業的に燃やし尽くしてそこで養分を得ていた。燃やされたあとの畑は瞬間的には栄養が出るかもしれないが、長続きしない。これを人間関係に適用していた。サイコパスの性質を考えてみるとサイコパスはほぼ間違いなくテイカーである。逆にテイカーだからといってサイコパスであるとはいえないかもしれない。そのパターンの人間をまだ見たことが無いため(過小評価をして見逃しているだけかもしれない)オレからはなんともいえない。皆さんの周りにサイコパスではないけれどテイカー気味な人間がいるようであれば事例を教えて欲しい。
オレや鯖さんを見ても「自分と利害関係がない人に対しての態度」が悪いとはいえないので、オレたちはテイカーではないと言える。のでサイコパスではない(と言いたいけれど確定できるわけではない)。たとえば鯖さんが居酒屋の店員(自分に利害関係のない人の例)に悪態をついていたらオレはこんなに長い間一緒にバンドをやれていなかっただろう。
結局どれだけ主張してもサイコパス人間が「オレはサイコパスじゃないよ!」と一生懸命主張しているようにしかみえないんだ