こんばんは、なぎです。
みなさんは自己主張が激しいでしょうか?僕はそんなでもありません。
思い返してみると、子どものころは自己主張が激しかったように思います。それがなぜ、現在ではそんなにでもなくなってしまったのでしょうか。
人生のステージ
自己中心的だった
小学生から中学生になると、学年ごとのクラスの数が3倍になります。そうすると、小学生のときとは違う友達ができます。
新しくできた友達とユニクロへ遊びにいくことになりました。なんというか、ユニクロに遊びにいくというと語弊があるかもなのですが、お店がある場所の近くにゲーセンがあったりして便利なんですよね。どういう文脈で言われたかは全く思い出せないのですが、
「お前、自己中だな」
と言われたことだけははっきりと覚えています。なんでそう言われたかが本当に全く思い出せないのですが、自己中心的な行動をしていたのかもしれません。
確かに思い返してみると、僕は自分中心で物事を考えるきらいがあり、しばしばウザがられていました。ただ、新しい友達にしっかりと言葉にして「お前、自己中だな」と言われたのはかなりショッキングな出来事でして、僕の心の中に深く染み入りました。
実は「お前自己中だな」みたいなニュアンスの言葉は、小学生のときからたびたび言われていたのですが、新しい環境になっても友達からそう言われるということはやはりそうなのかとあらためて考えさせられたかたちです。
以後、自分は放っておくと自己中になってしまうという意識を持ちながら生きております。
自己中心的な考えと主体性は紙一重
自己中と言われるのを避けながら人生を生きていると、どこかのタイミングで気がつきます
「あれ、オレ主体的に物事を進められていなくね……?」
これは小学校中学校でありがちなのですが、リーダーシップを発揮して何事かを推し進めようとすると、他の人に「なぎくん自己中じゃん!」と言われる危険性があります。これはひとえに、リーダーシップを発揮する人間の人柄に依存しています。例えば、クラスで一番足が速かったAくんはバリバリのリーダーシップを発揮していましたが、他の人に「Aくんって自己中だな!」と言われていた現場を目撃したときがありません。
なんかめちゃくちゃ僻んでいるけれど、もしかしたら僕がマジで自己中だったのかもしれません。当時には自分を客観視できる能力がありませんでしたから、いまとなっては分からないままです。
ただ、幼い頃に言われた言葉は呪いのようにじわじわと効いてくるものですね……以降、僕は何かしらの行動を起こそうとするたびに「これって自己中なのではないか……」と不安になってしまうようになりました。ちなみに今では全くそういうことを気にせずに暮らしています。つまり今の僕はかなり『自己中」です。すみません。
自分主体で物事を進めるときは言ってしまえば自己中にほかなりません。ただ、大人になってみるとその「自己中さ」に感謝されることもあります。みんな生活に疲れてしまって、流されるまま生きる時期とかがありますからね……なるべく意識を保って自己中に生きていきたいものです。
意識的に呪いを打ち破りたい
そういうことで、昔に言われたことは呪いとなって効いてくるというお話でした。
他にも様々な呪いが僕にふりかかっているのですが、それを無視するように生きています。
この本を1年くらい前に買って読んだんですが、多分そんなニュアンスのことが書いてあったかと思います。「嫌われる勇気」とありますが、実際の中身はアドラー心理学のことについて書かれています。
内容で唯一覚えているのが、どんなマイナスな状況でも自分がそうなりたいからそうなっているという残酷なお話です。例えば、僕のギター演奏が下手だなぁ……と思ったらそれは「自分がギターを下手でいたい」と思っているからみたいなニュアンスです。もしかしたら違うかもしれません、読んだ人は僕に教えてください。この本は大人気すぎてブックオフに大量に転がっていますので、人生に行き詰まりを感じている人は手に取ってみるといいかもしれません。
あと
岡本太郎の『自分の中に毒を持て』も同時に読みましょう。めちゃくちゃな人生が味わえますよ。
なぎはブックオフに入り浸りがちなんだ